企画展

映画と世田谷

1996年7月6日(土)~8月18日(日)

春撮す何のセットぞ街建てて 裏あらはなり芽ぐむ雑木々(北原白秋) 砧の高台に住む北原白秋は、家の窓からよく見える撮影所の光景を詠み、「P.C.L.近景」や「東宝映画俯瞰」と題して歌集にまとめています。世田谷は文学や美術の町として知られていますが、撮影所を中心に広がる映画の町でもあるのです。 映画フィルムの現像と録音のための写真科学研究所(Photo Chemical Laboratory)が昭和6年に砧に建てられ、国産トーキーの開発の成功から、翌年には撮影用のステージを設けたP.C.L.映画製作所へと発展します。これが11年に京都のJ.O.スタジオと合併して現在の東宝・砧撮影所となりました。 このころ日本の映画界は無声映画から発声映画へと大きく揺れ動き、日活、新興キネマ、松竹の各社はそれぞれ、東京近郊の調布多摩川、練馬の大泉、神奈川の大船に、トーキー製作設備の拡充のために撮影所を移転整備したのです。 P.C.L.映画製作所ができた昭和7年は、ちょうど世田谷区が誕生した年でもあり、映画と世田谷は歩みをともにしてきたといえるでしょう。黒沢明が『七人の侍』を大蔵の雑木林で、稲垣浩が『柳生武芸帳』を九品仏で、そして成瀬巳喜男が『驟雨』を梅ヶ丘で撮影するなど、世田谷は多くの映画の舞台になっています。子供たちに人気のキャラクター〝ゴジラ″や〝ウルトラマン″もこの世田谷からうまれました。 本展は、ご寄贈いただきました映画にかかわる資料を中心に、撮影台本、ポスター、図書、写真などで構成し、世田谷の映画の歴史、映画人と文学者や美術家との交流をご紹介します。 なお、本展は世田谷美術館開館10周年を記念して企画されるものです。