企画展

没後10年 安部公房展

2003年9月27日(土)~11月3日(月・祝)

安部公房(1924‐1993)は現代文学の最高峰のひとりとしてノーベル文学賞候補にのぼるなど、世界に知られた文学者です。創作活動は、小説、戯曲はもとよりシナリオ、テレビ・ラジオドラマなどさまざまなジャンルにわたり、多くの優れた作品を残しました。同時に思想家として、時代の先端を駆け抜け、広範におよぶ先鋭な文化論は、今もその読解が待たれています。
このような安部公房の全容は、1997年から刊行された『安部公房全集』によってはじめて明らかになりました。没後10年を経た現在、その作品と思想の読み直しがまさに始められています。

公房は第二次世界大戦中、19歳の誕生日に小説『題未定(霊媒の話より)』を起稿し、作家活動を出発させました。満州で終戦をむかえ、その厳しい時代心情を、書簡に添えた詩に語り、それらをまとめた『無名詩集』を自費出版します。しかしその後、詩の形式を捨て、詩は小説の登場人物によってのみ語られるようになります。東大医学部在学中に書いた『終わりし道の標べに』が成城工高時代の恩師、阿部六郎によって埴谷雄高に紹介され、この作品で48年にデビューし、衝撃を以て迎えられます。50年の『赤い繭』で戦後文学賞、51年に『壁―S・カルマ氏の犯罪』によって芥川賞を受賞。55年には最初の本格的な戯曲『制服』が上演されました。
時の人となった公房はさらに58年にSF大作『第四間氷期』、62年からの5年間に『砂の女』『他人の顔』『燃えつきた地図』の長編3部作を立て続けに発表します。なかでも『砂の女』は、映画化に際して自ら脚本を書き、国際的にKobo Abeが広く知られるきっかけとなりました。現在も20数ヶ国語に翻訳され、世界中で読み続けられています。また、67年の戯曲『友達』、69年の『棒になった男』をはじめ、シナリオ、ラジオ・テレビドラマなど、同時に多角的な作品表現を数多く手がけました。73年には、安部公房スタジオを結成して、自ら演劇活動を展開、スタジオのニューヨーク公演は大成功し、その後の世界の演劇やダンスに影響を与えました。こうした活動と並行して、新しい小説の方法論を模索するように73年に『箱男』を発表。自身て撮影した写真を挿入して表現の探求を続けました。また、84年の『方舟さくら丸』では日本で最初にワープロを執筆に使用し、91年には最後の長編小説『カンガルー・ノート』を発表します。未完の小説『飛ぶ男』を書斎のフロッピーディスクに遺して、93年に他界しました。
本展は公房の生きた時代の記憶を想起させながら、その作家活動を立体的に表現しようとする試みです。また、公房が残した大量の写真と『飛ぶ男』のテキストを用いた近藤一弥によるヴィデオ・インスタレーションによって、作品創造の瞬間の再現を試みます。