企画展

第9回世田谷フィルムフェスティバル 脚本と映画 橋本忍の仕事

2008年1月29日(火)~3月23日(日)

世田谷文学館では開館以来、世田谷に深いゆかりのある映画人、世田谷生まれの映像が生んだヒーローなど、映画文化、映画と世田谷の強い結びつきを映画資料展や催し物でご紹介し、平成11年度からは「世田谷フィルムフェスティバル」として開催して参りました。
本年度は、日本映画の黄金期に数多くの傑作を生みだした脚本家、橋本忍(1918~、大正7年~)の業績をご紹介します。終戦後、映画監督で脚本家の伊丹万作に師事して脚本を学んだ後、昭和25年公開の黒澤明監督「羅生門」(ベネチア国際映画祭金獅子賞グランプリ受賞)の共同脚本でデビューし、一躍新進脚本家として名を知られます。さらに小国英雄、黒澤明とともに、黒澤監督作品の「生きる」、「七人の侍」など日本映画黄金期の金字塔となる作品に脚本で参加、その後も、小林正樹監督作「切腹」、「上意討ち」、松本清張原作で野村芳太郎監督作「張込み」、「砂の器」など、日本映画史上に残る名作の脚本を手がけています。また、善良な市民をも苛烈な運命に巻き込む戦争の不条理を告発したオリジナル脚本のテレビ作品「私は貝になりたい」の劇場映画化に際しては自ら監督し、大きな反響を呼びました。さらに、映画会社の系列を越え優れた監督、スタッフ力を結集した映画作りのために橋本プロダクションを設立し、大ヒット映画「砂の器」、「八甲田山」などの話題作を製作するなど、映画界への功績は量り知れません。
先頃、映画の脚本づくりにおける、知られざる真剣勝負の現場を描いた自伝『複眼の映像―私と黒澤明』を上梓。交流の深かった映画監督、脚本家たちとの仕事の流儀が明かされ、話題になっています。
昭和20年代後半から区内代田、羽根木に住まいを構えた世田谷にゆかり深い映画人・橋本忍の多方面に亘った業績の紹介を通し、優れた映画人との交流、関わった映画にみられる人間性への深い洞察、社会的意識の高さなど、質の高い映画づくりへの飽くなき情熱をご紹介いたします。