2023 12/15

眩しい光、自由の影 2

エッセイ

椎名鱗三のアナーキー

 6

 思うに、『懲役人の告発』には、椎名のそうしたラディカルな美学を想定せざるをえない状況が存在していた。本エッセーの初めに、「時代の傷」という言葉で示した状況である。六〇年代の大学紛争の嵐のなかで、左翼出の作家である椎名が、若い学生たちの運動に疎外からの解放の理想を見て、「情熱」を掻き立てられなかったという保証はない。たとえば、三島由紀夫が、東大安田講堂で全共闘の学生を相手に、みずからの矛盾を曝け出してみたのは、1969年5月13月のことである。おそらくは『懲役人の告発』を執筆中の出来事と見ていい。三島が徐々にみずからの禁断のエロティシズムを開陳していくのを、椎名は、嫌悪の気持ちぬきで受けとめることはできなかったろう。あるいは、三島の美学の対極に、椎名なりのエロスの美学を対峙させたいという気概はなかったろうか。新宿西口や安田講堂にひしめく若い「叛徒」たちが突きつける問いに、どう答えられると彼は考えていたのか。ことによると、『懲役人の告発』は、「状況」に対する彼なりの回答だったのではないか。そこに、彼なりの美的なアナーキーを隠しこむことで、つまり、少なくとも、両義的な態度を示す誠意を示すことで、逃げの手を打つ、いや免罪符を得ようとしたのではないか。なぜなら、革命とは、最終的には「赤ん坊の脳みそをたたき割ってもよい」とするアナーキズムを前提とする、反社会的運動だが、キリスト教徒としてそれはけっして受け入れられるものではないからである。
 椎名は、時代を意識しつつ、福子殺しに対する倫理的判断を先送りし、かつ曖昧なものとすることで、自由の重荷に耐えることのできない人間の悲惨を、半ばヒロイックな目で描き出してみせた。その態度がかりに許されるとした場合、彼はその倫理的な拠り所を、どこに求めようとしていたのか。答えはやはり、彼のドストエフスキー体験の原点ともいうべき『悪霊』に求めるほかない。『懲役人の告発』には、『悪霊』に由来するモチーフがふんだんに使用されている。彼がこだわりつづけた福子の「十二歳」というディテールには、スタヴローギンが凌辱した少女マトリョーシャの面影が色濃く感じられる。そもそも、「懲役人」という名づけには、『悪霊』の登場人物「懲役人フェージカ」が意識されていなかっただろうか(ちなみにフェージカとは、ドストエフスキー自身の愛称でもある)。脱走者である「懲役人フェージカ」こそは、善悪の彼岸に立ち、どんな悪行にも怯えを知らない、なおかつ敬虔な正教徒である。椎名が、残虐な罪をおかす正教信者のモチーフに関心をもったのは、今回がはじめでではなかった(椎名麟三「講演録」には、『白痴』に登場する同様の正教信者の言及がある)。人神論を唱え、最終的にはピストル自殺を遂げるキリーロフはさしずめ、自由という幻影に囲われ、福子を放任した長次に重ねることができる。福子を凌辱する長太郎には、『悪霊』の主人公ニコライ・スタヴローギンを割り当てるのがふさわしいだろうが、両者の存在感には、雲泥の開きがある。長太郎が、「触れるものすべてを殺してしまう」(グロスマン)スタヴローギンのニヒリズムからはるか遠くに隔たった地点にいたことは疑うまでもないが、少女凌辱、自死というプロットの流れに従えば、この人物配置を不適切とみなすわけにはいかない。いや、『懲役人の告発』を構想する椎名の脳裏のなかでは、もはやキリーロフとスタヴローギンの間に境界線はなかった。マトリョーシャを凌辱したスタヴローギンに対し、チーホン僧正が投げかける次のひと言が、椎名自身の記憶にどこまで深く刻み込まれていたかが問題である。
 「あなたの無信仰を、神はお許しになります」(「チーホンの許で」) (つづく)

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