悲しみの太宰 6-1
「大庭のやつ、世界じゅうの女をみんな欲しがっているんだ」(太宰 治「道化の華」)
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太宰の最初の小説集「晩年」には、韜晦に韜晦をかさねた小品がいくつか収められている。そのなかでもとくに印象に残るのが、一九三〇年一一月の最初の心中未遂事件を扱った「葉」、そして事件後の四日間の暮らしぶりを軽妙に記した「道化の華」の二つの作品である。たった四日の思い出の、ああ、一生涯にまさることがある。(「道化の華」)
これら二つの作品を読みながら、太宰はつくづく幸運な作家だ、と思う。太宰は、同時に二つの小説を書くことができた。二つの小説とはほかでもない、文字で書かれた小説と人生という名の小説である。ごく単純に、詩と真実という呼び方をすることも可能だろう。
では、人生の小説とは何なのか?
それは、当然、読者一人一人の視点によってかたちは異なっている。たとえば、私にとってそれは何より、最初の心中未遂事件から玉川上水での死にいたるまでの一八年間の心のドラマである。
読者にとって、心中や自殺未遂といったトピックは、つねにミステリー風の好奇心の対象であって、そこでの太宰とのシンクロニシティ(共時性)を経験できる読者はそう多くない。おそらく太宰は、そうした読者の好奇心をつねに念頭に置きつつ、主役の一人として関わった事件の真実を語りたい誘惑にかられていたのだった。
戯作者として天性の才に恵まれていた太宰にとって、事件の一部始終をドキュメント風のタッチで語ることなどとても許されるべきことではなかった。一九三〇年の事件では現実に死者が出たし、書き手の真意を横からひそかにうかがう司法の目もあった。そうしたぎりぎりの状況のなかで、どんな方法が選択しえたろうか。司法の目を怖れずすべてを告白しきるか、あるいは大胆にフィクション化をほどこすか。かりにその二者択一がすべてなら、太宰としては、後者のフィクション化を選ばざるをえなかったはずである。だからといって、彼がそこでどこまで大胆になれたかは、かなり疑わしい。事実のもつオーセンティシティ(確実性)から少しでも離れることは、太宰にとって恐怖以外の何ものでもなかった。それとは逆に、完全なフィクションとして記すことには、どこまでも倫理的な痛みが伴った。
太宰が最終的に導き出してきた手法が、第三の道、すなわちフランス語で「組み立て」を意味する「モンタージュ(montage)」である。モンタージュとは、ご存じのように、視点の異なる複数のカットをさまざまに組み合わせて用いるフィルム編集上の技法をいう。その手法は、たしかに司法の目をあざむくうえで好都合だが、事件の悲劇性をつぶさに伝えたい、という願望の実現からは程遠いものとなる。「晩年」の第一作「葉」がめざしたモンタージュのスタイルは、まさに「語るに語りえないもの」を語ろうとする太宰の苦渋の決断だった。(つづく)