2023年01月
謹賀呪年!
喜びと空しさが相なかばする微妙な感傷にひたりながら、新春四日目を迎え、「作業」はいよいよ大詰めに入った。人生最後の、と思い定めた書庫の整理。クリアファイル、黒のクリップのあまりのしぶとさに軽く憎しみが湧く。だが、嬉しい「再会」も経験できた。水野忠夫著『マヤコフスキイ・ノート』の文庫本、『地獄の黙示録』のむきだしのDVD、写真家、大石芳野さんから送られてきたお礼の葉書。それらが「混沌」の渦の中からさりげなく姿を現したのだ……
私は、決心した。これからもしばらく付き合いの続くドストエフスキー関連を書斎に移し、リビングの書棚は、親しい友人たちが残した仕事の数々でジャンル別に埋める、と。そう決心するや、私の胸のうちに穏やかな感謝の思いが満ちわたり、一瞬ながらも死の怖さを忘れた。老いていくのは、べつに自分ばかりではない。
『地獄の黙示録』を聞きながら、仕上げの床掃除に入る。やがて有名な「ワルキューレの騎行」の旋律がはじまり、私は慌ててリビングのテレビの前に戻った。「ワルキューレ」は、北欧神話の出自で「戦死者を運ぶもの」の意。轟音とともに海岸に迫る十三機のヘリコプターが二重写しにされている。ただし、ワーグナー原作『ニーベルングの指輪』では、ワルキューレの数は九。いずれにせよ、私たちには不吉な数字である。絶好のサーフィンスポットを確保しようと、ベトコン前哨基地に襲撃をかける指揮官。着陸したヘリコプターに手榴弾を投げ込むベトナム女性……。まさに狂気の世界である。
昨夜テレビで、ロシア人の兵舎にハイマースが打ちこまれ、八十名の兵士が犠牲になったと知った。新年の挨拶をさかんに通信しあったことが探知され、命取りとなったらしい。書庫の整理に大わらわだった私の心に、もはや切迫して響く何かはなかった。慣れというのは、何とも恐ろしいものだ。ちなみにロシア語で、「新年おめでとう」は、次のように言う。
С новым годом.(ス・ノーヴィム・ゴーダム)。
悲しいかな、侵略者の死に世界から同情の声は聞かれない。同情は、タブーなのだ。
新年のこの「悲劇」は、きっと新たな憎悪を呼びこむだろう、そんな予感が働いた。最終段階の地上戦では、大義名分とプライドと憎悪のはげしさが勝敗の行方を決定する。独裁者は、国威発揚のよい刺激とほくそ笑んでいるのだろうか。いや、独裁者といえども人間であることに変わりはなく、そうであるなら、胸の奥に絶望以外何も生まれるはずがない。そしてこの憎悪も絶望もいつしか忘れさられ、兵士たちは、純粋に自己目的化された殺戮に没入する。
嫌な年明けである。小話が好きなロシア人なら、洒落のめしたくもなるはずだ。
С новым гадом! (ス・ノーヴィム・ガーダム!)
どこが、違うだろうか?
ゴードムは、「年」を、ガードムは、「呪わしき悪党ども」を意味する。ガーダム(гадом)から、頭文字のг(G)を一つとれば、みごとに「地獄(アード)」の文字(ад)が立ちあがる。「新しい地獄、明けましておめでとう」といった意味になるが、少し冗長である。思ききって「謹賀呪年」。そんな新年の挨拶を自虐的にかわしあった兵士もいたにちがいない。しかしハイマースは、そんな罪のない冗談をもひと飲みしてしまった。まさに地獄である。独裁者よ、もはや幻想に酔っている時ではない、いち早く正気を取りもどせ!