2023年01月
JFKの記憶から
JFKは、青春時代の私にとって忘れることのできないヒーローである。1961年10月のキューバ危機の際、当時、中一の私は世界が終わるとの予感にふるえ、大好きな母との永久の別れすら覚悟した。核戦争の危機から世界を救ったJFKへの思いは深く、翌年11月、日米間を初めて「宇宙中継」が結んだ日の朝、その彼が暗殺されたとのニュースに接して言葉に尽くせない衝撃を覚えた。
今日、JFKについて語りたいと思った動機について触れることはしない。オリバー・ストーン監督の映画『JFK』を観なおしたのがきっかけ、と答えたら、少し不正直すぎるかもしれない。ストーンが主張する陰謀説の中身ははっきりと掴めたが、JFKその人にまつわる謎は、何一つ描かれてはいないと感じた。いや、もう一つ、副次的な理由がある。今年の没後60年を前に、昨年末、JFK暗殺事件に関する文書約13000点のファイルがオンライン公開されたのだ。むろん、今の私にはそれにアクセスするだけの勇気も体力もないが、「暗殺」のもつ暗いメカニズムを知りたいという欲求だけは人一倍ある。
思うに、ヒーローと独裁者は、紙一重のところにいる。ヒーローは自ずと人の心をとらえるが、独裁者は、人を魅了すべくあらゆる手立てを尽くす。独裁者が気まぐれのように芸術家を厚遇するのは、その威光にあやかりたいとする卑しい下心のなせるわざである。だが、ヒーローJFKにおいては何もかもが自然だった。キューバ危機から間もない11月半ば、ホワイトハウスに招かれたチェリストのパブロ・カザルスが演奏した「森の歌」には、まさに平和への熱い祈りが脈うっていた。残された写真に写るJFKの表情にも、どことなく自信と威厳が感じられる。
暗殺から月日が流れ、私のJFK熱は遠い過去のものとなった。立て続けに見たJFK関連の映画で、いくつもの影の部分を知るにいたったのが、原因である。病、そして醜聞。私が、何より衝撃を受けたのは、彼の隠された病である。不治の病とされたアジソン病。治療薬の進捗によって早い死は免れたが、至る所にその「副作用」が現れた。おそらくは政権運営にも微妙な揺らぎが生じたことだろう。政治は、命がけのパフォーマンスの世界。キューバ危機を前にした彼の勇気は、ことによると治療薬のなせる業だった可能性もある。逆にその勇気が、暗殺の引き金になった可能性も一概には否定できない。そして今、重篤の病に冒されていると噂されるロシアの独裁者の一挙一動が世界の耳目を揺るがしている。絶望と病と戦いつつ、自国の運命の手綱とりに必死の彼は、深夜、何を思いながら眠りにつくのか。世界が終わる光景? 恐ろしいかな、彼の枕元には、核のボタンが置かれている。運命の女神は、目隠しされたまま、さながらサーカス芸人のように球体の上を歩む。そして今、1分40秒前で止まった世界終末時計の針は、次の、運命的な1秒を刻もうとしている。