エッセイ
宮部みゆきの「悪霊」 ―― audible『模倣犯』雑感 2
『模倣犯』は、1990年代半ばの東京と群馬県を舞台にした、女性バラバラ身元不明事件の犯人捜しをめぐるミステリー小説である。バブルがはじけ、社会全体に鬱屈した気分が満ちわたるこの時代は、当時、四十代半ばだった私にとってもひときわ暗い記憶が残る。阪神淡路大震災も、地下鉄サリン事件も、ポストバブル時代を象徴する悲劇的事件である。そうした時代性への関心もあったせいか、誇張ぬきで、一瞬の飽きも感じることなく「聴書」を続けることができた。そして宮部さんの講演会から五日後、無事タイムマシンのドアは開かれ、2023年の現在に降り立った。空酔いとジェットラグの後遺症は今も消えない。
堪能するとは、こういう経験を言うのだろう。ジグソーパズルさながら正確に埋められていくディテール。張られた伏線の見事な回収。複数視点の手法が生み出す場面転換の妙とプロットの端切れよさ。各章の導入部に、こそばゆいばかりの好奇心を掻き立てられる。「とその時」「ただ」といった副詞句、接続詞が発せられるたびに、不吉な快感が背筋を走る。ちなみに、複数視点とは、この小説のもつポリフォニック(多声的)な世界を成り立たせる手法上の秘訣でもある。そしてそのポリフォニックな世界の極みに、いくつものカーニバル的な空間が誕生する。犯人たちの電話の声をも吞み込んだワイドショーや、物語のラスト近く、ピースと由美子が滞在するホテルでの盗撮騒ぎがそれにあたる。語り手の大胆な逸脱という点で度肝を抜かれたのが、お化けビルに近いゴミ捨て場に誤って落下した明美の内面描写である。作者は、もう、なりふりかまわず、描写と抒情的逸脱にのめりこむ。こうして、限りなくリアルに、かつメタフィジックともいえる崇高ささえ呼び招きながら、彼女の絶望が浮き彫りにされる。また、悪の天才ピースこと網川浩一のマインドコントロールによって自殺へ導かれる由美子の最後の描写も秀逸だと思った。自殺の場面には、これまでいくつもの小説で接してきたが、それらのほとんどが嘘くさく思えてきたほどのリアルさである。不思議なことに、過剰ともいえるほど言葉が尽くされているのだが、少しも過剰さを感じさせることがないのだ。むしろその過剰さが、死者への鎮魂の願いを深め、読者のいたたまれぬ思いにやさしく働きかける。思えば、ドストエフスキーの小説に登場するどの自殺者の描写にも、これほどの切迫感はなかったように私は思う。順に思い起こしてみよう。『罪と罰』のスヴィドリガイロフ、『悪霊』のキリーロフ、そしてスタヴローギン、『未成年』のクラフト、『カラマーゾフの兄弟』のスメルジャコフ。高井由美子の死の描写に辛うじて対置できるのは、『未成年』第一部の終わりで縊死を遂げるオーリャぐらいだろうか。思うに、エロスの作家ドストエフスキーは、自殺や死の主題には確かに深く魅力されてはいたものの、生と死の境界線に立たされた人間の心理の極限を描く術に卓越していたとはいいがたい。形而上化の誘惑とロマン主義的なこだわりが、彼の文学から死のリアリティをはぎ取ったという言い方もできる。それが、『模倣犯』では、その境界線の描写が、驚くほどに生々しい現実感を獲得し、いっさいの不自然さを免れているのだ。むろん扱われている事件の、度を越えた猟奇性に左右されている側面もなくはない。(つづく)