2023年06月

2023 6/9

上書き、並立、補完、それとも続編? 村上春樹の新作を読む

エッセイ

村上春樹の新作を読んだ。タイトルは、『街とその不確かな壁(The City and Its Uncertain Walls)』(以下、CWと表記する)。黒地に白の明朝体で縁どったタイトル文字が目にも鮮やかである。私が読了したのは、電子図書だが、いつもの習慣で、別途、単行本も一冊だけ買い求めた。保存用である。
CWを読みはじめてすぐ、私はこれが、同じ村上の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド(Hard-Boiled Wonderland And The End Of The World』(以下、HWEWと記す)と関わりがある物語であることを知り、悪い予感にかられた。そもそもHWEWは、これまで何度か挑戦しては挫折を繰り返してきた小説だったからだ。「HWEWは最高」と無条件に褒め上げる友人に出会うたび、私は内心で焦りを覚えてきたものだ。この、悪い予感を吹っ切るには、手段を変えるしかないと思った。そう、オーディオブックに訴えるのである。幸い、オーディオブックには、宮部みゆきの一連のミステリー小説を読破した嬉しい成功体験があった。しかも意外なことに、HWEWもまた、村上作品にはめずらしく、他の作品に先んじてオーディオブック化されていることがわかった。合計二十五時間におよぶ耳読書だったが、それこそ寝食を忘れて聴きつづけた。通勤用の書類鞄に常時、上下二巻の文庫本を忍ばせ、気になるくだりはすべて活字でチェックするという万全の態勢を敷いた。おかげで空き時間がなくなり、時として億劫に感じられる夜の散歩までが逸楽の時に変わった。
こうして私はついに、CWへの挑戦権を得たのだった。
文句なしの面白さだった。いくつもの謎が解け、いくつもの謎が加わった。6月下旬に台湾で行われる国際学会での報告も、何とか乗り切れそうな気がしてきた。ところが、発表原稿の準備を進めるうち、このCWには、表面的な読み、論理的な理解では到底おぼつかない複雑なディテールがちりばめられていることがわかった。CWは、独立した作品というより、あくまでもHWEWの続編として構想されているが、では、純粋に続編と言い切れる作品かというと、そうではない。村上自身、「あとがき」で微妙な言い回しを用いている。
「『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』のひとつの対応ではあったが、それとは異なる形の対応があってもいいのではないか、と考えるようになった。『上書きする』というのではなく、あくまで並立し、できることなら補完しあうものとして」
上書き、並立、補完・・・・・・。説明としてはかなり苦しい。だが、村上は、本体を知らなければ、ほとんど真意を図ることのできない物語を、そしてHWEW信奉者にとってはおそらくあらずもがなの「続編」を、敢えて、刻苦して織りあげた。それはなぜだったのか。HWEWのエンディングは、これ以上望めないくらい、いや、十分すぎるほどのカタルシスを読者に与えてくれたではないか。にもかかわらず、村上は齢七十四にして、これを書かなければ死にきれない、との切迫した思いに突き動かされた。その原因とは?
これは、たんなる空想にすぎないが、「続編」の刊行という決断を下すにあたって、村上は迷いに迷ったはずである。たとえば、CWが、すでに定着したHWEWの声価を曇らせる可能性さえある。事実、ネット上には、「生成AIが村上春樹になりすまして書いたような印象を受ける」といった悪意ある批評も出た。しかし、ひと言私個人の感想を述べておけば、ここに新たに登場したHWEWならざるHWEW+の誕生を、心から寿ぎたい気分である。少なくとも、複数のバージョンをもつブルックナーの交響曲よりははるかに幸運である。モーツァルト(『レクイエム』)やマーラー(『交響曲第十番』)とも異なり、作者自身の手によってその「続編」が書かれたのだから。おまけにCWのエンディングには、HWEWに劣らない、いや、原典版(と呼んでしまおう)とは大いに異なる、寂寥の極みともいうべき新境地が提示されている(「ぼく」が去ったあとの「街」の図書館の娘を思い、胸が塞がるような悲しみにかられた)。
とはいえ、かなり厄介な状況が生まれたことは確かである。今後、CWについて語る際、彼らは、これを、HWEWの有機的な一部として扱うか、互いに並立ないし補完しあう物語として論じるべきかで、大いに迷うことになる。しかしそんな学問的な議論に対し、私たち一般読者はお構いなしである。読者は、村上春樹の誠実きわまる「あとがき」の言葉さえ、平気で裏切ってしまうだろう。なぜなら、すでに私の心のうちでは、この二つの物語は一体となって一つの小宇宙を築きあげているのだから。だから今はただ、二つの物語の接合という大手術にともなった手術痕が、できるだけ速やかに消えるのを待つばかりである。

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