エッセイ
「奇跡」との平凡な出会いについて 2
2 BWV639
八月の半ば、秋の訪れかと一瞬錯覚しそうな穏やかな風が吹きぬけた日の午後、私は足取りも軽くT市の文化会館に向かっていた。依頼された講演は、例によってウクライナ戦争がらみもので、演題は「ロシア的なものとは何か」。これまで、新聞や雑誌でくり返し発言してきたトピックでもあり、とくに下準備に力を入れる必要はなかったが、講演日が迫るにつれ胸の奥で何か意地のようなものが疼きだした。私はこの戦争のもつ意味を、音楽のイメージを介して伝えたいと願ったのだ。そしてその願いをうまく実現するには、話の中心に何としてもヨハン・セバスチャン・バッハの「コラール前奏曲」を据える必要があった。
冷静に、これが突拍子もないアイデアであることは、火を見るより明らかだった。他方、私には私なりの自信があった。バッハの音楽が真に花開く大地は、スラブだ、スラブという精神性の土壌があってはじめて彼の魂の音楽は花開くことができる、スラブはバッハの第二の故郷であり、バッハとチャイコフスキーは、姻戚関係にある・・・・・・。この倒錯的で、かつロシアびいきの沼にどっぷりつかった私の態度を、不快に思われる読者もいるのではないか、と思う。しかし、私はべつにドストエフスキーを真似、ロシアの世界的使命などという大それた考えを持ち出す気などは毛ほどもなかった。私のこの直感は、はるか以前、そう、アンドレイ・タルコフスキーの映画『惑星ソラリス』に観たときに胚芽したものだったのだから。
具体的な曲名を明かそう。
コラール前奏曲(BWV639)「われ汝に呼ばわる、主イエス・キリストよ」。
賛美歌の歌詞は、神の僕である「われ」の嘆きを聴き、恵みを与え、真の道を与えよ、という主へのひたすらな祈りに満たされている。けれど、信仰とは縁のない私の耳に届いたメッセージは、それとはかなり趣を異にし、死を前にした人間の心のドラマ、つまり、世界と自分の「終わり」を静かに見つめる人間の嘆きと諦念のドラマだった。神に慰めを求めつつも、祈ることそのものの虚しさ、希望のはかなさに気づいている。残された命を精一杯生きよとの神の命令に力がないこともわかっている。神と人とのおたがいの無力の承認から生まれる最後の、悲しい和解。そんなペシミズムをたっぷりのみ込んだ音楽であれば、長く悲劇の歴史を歩みつづけたスラブの大地を念頭に置きつつ耳を傾けるのも悪くはない。
だが、639の音楽を一通り聞かせただけで、私が考えるウクライナ戦争の意味を納得させられるわけもなかった。話題をより説得的に具体化するには、もう一つひねりが必要だった。639を、ぜひとも二つのピアノ演奏、二人の、それもスラブ系のピアニストの演奏を比較してもらうのである。
私が選んだ二人のピアニストのうちの一人は、チェコに生まれ、ユーゴスラビアで育ったオーストリアのピアニスト、アルフレード・ブレンデル。彼の演奏する639は、限りなく端正でかつモダンな装いのもとに、諦念、慰め、希望といった人間の心の微妙なゆらぎを隅々まで、すばらしく豊かなバランス感覚で描きとっている。圧倒的な名演である。そしてもう一人は、ウクライナから程遠からぬ町ブリャンスクに生まれ、ソ連共産党員でありつつ、ロシアピアニズムに連なる独自のスタイルで知られたタチヤナ・ニコラーエワ。彼女の演奏を聴いていると、もはや魂のゆらぎなどといったやわな世界ではなく、無辺の宇宙をさまようかのごとき壮大な感覚が襲ってくる。そう、「時、もはやなかるべし」。そんな「黙示録」の言葉すら浮かんでくるほどのスケール感なのである。敢えていうなら、それこそ「奇跡」と呼ぶにふさわしい一世一代の快演。
ブレンデルとニコラーエワの二人が、同じ東ヨーロッパの地で生を享け、育ちながら、たがいにまったくべつの世界をめざしていたことは、バッハをまったく知らない人の耳にもすぐに理解できると思った。限りなく個的なドラマと、限りなく宇宙的なドラマ。しかし何よりも大切なのは、たがいに別方向を見つめる二人の芸術家を、しっかりと繋ぐ絆が確実に存在するという事実である。ヨハン・セバスチャン・バッハ。私は、ブレンデルの演奏にウクライナの、ニコラーエワの演奏にロシアの精神性を重ねながら、国境をめぐる争いの空しさを説明する心づもりでいた。だが、話が細部にわたるにつれ、そうした小賢しいアイデアを自慢げに披露する自分がなにかひどく貧しい人間に思えてきた。そもそも、仮説そのものに大きな間違いがあることに気づきはじめていた。ブレンデルの演奏にウクライナの精神を重ねるなど、もってのほか、ウクライナをあまりにもヨーロッパに近づけすぎている。もし、誰かひとり、ニコラーエワとの比較対象のためにピアニストを選ぶとすれば、それこそキーウ生まれの大ピアニスト、ウラジーミル・ホロヴィッツがいるではないか。しかも、このホロヴィッツにも、639の優れた録音が残されている。だが、そのときの私に、ホロヴィッツの639について何かを語れる自信はなかった。端的に言って、感動が浅かったのだ。ことによると私は、T市の文化会館で、ウクライナ戦争という悲劇的な図を背に、639の音楽がはらむ精妙さ、深さの感覚を、いや、音楽のすばらしさをできるだけ多くの人々と共有したいと願っていただけなのかもしれない。そうして、バッハの音楽に無心で耳を傾ければ、この戦争がいかに無益で野蛮か、そして何よりも人間の命の儚さを納得してもらえるはずなのだ。人間をかりに、かぎりなく繊細な一本の葦にたとえるなら、戦争は巨大な鎌。その一本の葦の、かけがえのない尊厳を象徴する音楽こそが、バッハ、それもBWV639であり、その「真実」を伝えることができさえすれば、もう十分だった。「ロシア的なるもの」の本質は、バッハの音楽のなかに潜んでいる、と豪語しても、けっして間違いを指摘されることはない、という確信もあった。(つづく)