エッセイ

2023 10/13

「奇跡」との平凡な出会いについて 3

エッセイ

3 「二コラ―エワのバッハ」

当日、会場に向かう私の唯一の心配は、聴き手のひとり一人に、理想的なかたちで639の音楽を聴かせられるかどうかという点にあった。会場のwifi環境に問題はないはずだったが、操作する私のほうに一抹の不安があった。そこで安全策をとり、音源をⅭⅮとすることに決めた。ところが、講演前日になって、肝心の二枚目つまりニコラーエワのⅭⅮがまだ入手できていないことにはたと思いあたった。慌てた私は、凄まじい炎天にもめげず、新宿西口行きの出るバスターミナルに急いだ。めざすは、新宿駅に隣接するビルの九階にあるタワーレコード。
タワーレコードといえば、かつて「ウェーブ」やHMVに並ぶ音楽文化のシンボル的存在であり、クラシックファンの心の砦ともいうべき場所の一つである。とくに現代音楽のコーナーは、まさに圧巻としか形容できない充実ぶりを誇っていた。だが、およそ三年ぶりに訪ねるタワーレコードに、期待した昔の面影はなかった。クラシックファンには、目に痛い光景だった。しかしそれでも淡い期待を失うことなく、私はピアノ曲のコーナーに急いだ。するとそこに、まるで私の来店を待ち受けていたかのように、黒いエプロン姿の男性店員が横向きに立っていた。
「ニコラーエワのバッハ、ありますか」
いっさいの前置きぬきで、私はいきなり、それがまるで合言葉でもあるかのように声をひそめて用件を伝えた。二つの固有名詞の繋がりに、相手がどう反応してくるか興味があったのだ。するとエプロン姿の店員は、何ひとつとまどいを見せずにくぐもった声で答えた。
「生憎、取り揃えが少ないですが、たまたま一枚残っています」
プロフェッショナルな応対だった。そればかりではない。それから数秒と経たぬうちに、肝心のⅭⅮが目の前に差しだされたのだ。そのあまりの早業に疑心にかられた私は、念を押すように言い添えた。
「639が欲しいのですが」
「BWV」をわざと外すと、念押しの言葉もまたたちまち合言葉と化した。だが、相手はとくに動揺する様子もみせず、自信ありげに短く答えた。
「入っています」
私の目は、CⅮジャケットに記された639の小さな数字を確実にとらえている。なんという「奇跡」だろうか、私は心のなかで快哉を叫ぶ。「一発百中」とはまさにこのことではないか。

4 これは、何番?

翌週の土曜日、私は家を出て再び新宿西口行きの出るバスターミナルに乗った。今回は散歩が目的だった。一日八千歩のノルマを課している私だが、気が向かない日がときに訪れる。そんな日、私はこのターミナルでバスに乗り、ほどよい距離まで自宅から遠ざかる。そしてゆっくり時間をかけて(時にはバスも利用して)戻って来るのである。その日、私は、新宿駅周辺ならとくに退屈することなく優に六千歩は稼げるはずとにらんで家を出た。せっかく新宿まで出かけていくというのに、何かを買いたいという衝動が起こらないのが寂しかった。購買欲がないということは、世界とのヴィヴィッドな関係が失われつつある証だからだ。だが、その寂しさの感覚にも慣れると、かえって無欲な自分が爽やかに感じられて笑みがこぼれた。
西口から東口に出ようと大ガードに足を向ける。「思い出横丁」の名で知られる観光客に人気のスポットがいやおうなく目に入ってくる。「七福小路」と呼ばれていたこのあたりには、若い時代の思い出がいくつか残っていた。「コーシカ」というロシアバーでは、友人と一度、ウオッカを痛飲したことがあった。もう半世紀以上も前の話である。
大ガードを抜け、東口に出た。私に行くべき場所はもう一つしかなかった。タワーレコード。買いたいCDがあるわけでもない。ところが、足が勝手にタワーレコードをめざしている。しかもおそらくはピアノ音楽のコーナーを。あの黒エプロン姿の店員が、「ニコラーエワのバッハ」のひと言からわずか五秒でそのCDを取りだして見せたマジックの仕掛けを解いてみせるのだとでもいわんばかりに(ここではあえて種明かしをしない。読者のみなさんには、ぜひとも新宿タワーレコードに足を運び、確認してほしい)。
「ニコラーエワのバッハ」の謎はたちどころに解けた。すると突然、雑多な音の洪水をかきわけるようにして、一つの巨大な旋律が私の耳たぶをつかみ、鼓膜を震わせはじめた。そしてその旋律はやがて巨大な洪水となって私の胸に押し寄せてきた。これまでそれこそ飽きるほど聴いてきたチャイコフスキーの音楽だった。チャイコフスキーが、いつにない悲痛な声で叫んでいる。あたかも、何かに許しを乞うかのように、切ない調子で。悲しいかな、老いはじめた私の脳は、それが何番の交響曲であるのか判別すらつかなくなっている。その代わり、これまで時としてその過剰さに辟易することもあったこの交響曲のもつドラマ性に、リアルに反応している自分がいる。そして心は、「奇跡だ」と叫び続けている。しかしそれでも、頬が大きく緩むことはない。なぜならその演奏が語りかけていたのは、まさにウクライナの悲劇だったからだ。ウクライナコサックに先祖をもち、ロシアで生まれ育ったチャイコフスキーが、いまロシアの罪を贖うべく苦しみに顔をゆがめている。ニコライ・ゲーの描いたゲッセマネのキリストの姿が、チャイコフスキーと二重写しになる。私は、天井のスピーカーを見上げ、そこから滝のように流れ落ちてくる音のシャワーに心をひたしながら必死に問いかけていた。
これは、何番、これは、何番?(完)

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