2023年12月
眩しい光、自由の影
椎名鱗三のアナーキー
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戦後日本における実存主義文学の草分け的存在である椎名にとって、「自由」は、終生、彼を責めさいなみ続けたテーマである。椎名が最後の精神の拠りどころとした信仰との関わりにおいても、自由は、避けてとおることのできない問題だった。なぜなら、精神の救いは、信仰すなわち神の掟を遵守することのなかでしか約束されないのに対し、自由は神の不在、さらには「すべては許されている」(ドストエフスキー)という状況でこそ究極の真実を明らかにするからである(サルトルはここに実存主義の出発点を見た)。神なき世界に、善悪の境界線は存在せず、自由と放縦の間にも一線が引かれることはない。問題は、自由の化身である福子の発するオーラがあまりにも眩しすぎた点にある。神の掟を破り、その支配を脱するか、それとも神の支配のもとに留まりつつ、自由の新しい姿を探求するか。いわば、究極的ともいうべき二者択一に対する答えを椎名に提示したのが、他でもない、ドストエフスキーの『悪霊』だった。
椎名は、後年、「わが心の日記」と題するエッセーで、ドストエフスキーとの〈対話〉から得た摂理について次のように書いている。
「ドストエフスキーに出会ったことは、私の心の歴史における一つの出来事であった。(・・・・・・) 虚無の権化であるスタヴローギンにキリーロフという神の不在を証明するために自殺する男が「人間にはすべてが許されている。少女をはずかしめても、親のけんかに赤ん坊の脳味噌をたたきわってもいい。しかし、ほんとうにすべてが許されていると知っている人間はそうしないだろう」という意味のことをいうときにこの矛盾したことばの間から、私のまだ知らない、新しいほんとうの自由の影が、さっと私の心に差し込んだのだ」(太字筆者)
右のエッセーに引用されたキリーロフの言葉は、自由をめぐる椎名の思考にとてつもない可能性を与えた。彼は、その後、再三にわたってこの体験の意味に立ち返ることになるのだが、この文章にこめられた「自由」の意味を正確にパラフレーズすることはほとんど不可能に近い。理由の一つは、椎名が、かなり意図的に作者であるドストエフスキーの真意を曲げている点にある。たとえば、『悪霊』中キリーロフは、「赤ん坊の脳味噌をたたきわってもいい」と言ってはいるものの「親のけんかに」とは口にしていない。「ほんとうにすべてが許されていると知っている人間はそうしないだろう」という言葉は、椎名のかなり恣意的な解釈である。キリーロフ自身は、たんに、人間がもし「自分たちがすばらしい」ということを理解していたなら、「女の子に暴行なんか働きません」と述べたにすぎず、そこには、取り立てて「摂理」と呼べるほどの濃密な意味性は存在しない。では、なぜ、そうした曲解が椎名のうちに生じたか、ということである。おそらく理由は一つ。『カラマーゾフの兄弟』におけるイワン・カラマーゾフの有名な言葉「神がなければ、すべては許されている」が念頭にあったからである。椎名の脳裏で、一時的ながら、キリーロフとイワン・カラマーゾフの二重写しが起こった。『悪霊』のキリーロフは、人神思想という独自の無神論のもとでの人間のありようを素朴に語ってみせただけだが、椎名は、同じキリーロフの「赤ん坊の脳味噌をたたきわってもいい」というひと言に過剰反応した。この一言は、まさにアナーキーなともいえる人間存在に対する全的肯定を意味するが、その全的肯定の背後に、彼は、何かしら一切の掟を超えて存在する「摂理」を見てとったのだろう。しかし椎名は、そこで得た直感を言語化できず、ただ「影」と呼ぶことができたにすぎなかった。では、「新しいほんとうの自由」とは何であったのか。その感覚は、福子凌辱の際に長太郎が経験した「身体中にしみわたるような眩しい光」と質的にどう異なるのか。自由は、たとえば同じ長太郎が経験した神的エクスタシーのなかには存在しないものなのか。問いをいくら重ねてもなかなか答えは出てきそうにないが、ひとつ、最終的に浮かびあがるヒントがある。それは、「自由」が、善悪の彼岸に立とうとするものへのある種の寛容さを含むということだ。もっとダイレクトに言うなら、「赦し」の感覚ないしは「宏量」の感覚である。(つづく)