眩しい光、自由の影
椎名鱗三のアナーキー
1
第一次戦後派を代表する作家の一人、椎名麟三にスポットを当てたコレクション展「椎名麟三と『あさって会』」がこの八月に閉幕した。来場者数三千八百人強。けっして多いといえる数ではないが、私個人にとってはひときわ印象に残る展覧会だった。椎名が、学生時代の終わりから関心を抱きつづけてきた作家の一人だったことが何よりの理由である。もっとも、展覧会がオープンするまでに手にした作品といえば、彼のデビュー作『深夜の酒宴』とドストエフスキー関連の二作(『悪霊』脚本と『ドストエフスキー体験』)ばかりで、しかもそれらすべてがうろ覚えというお寒い状況にあった。ただし、『深夜の酒宴』の中の有名な一行「絶望と死、これが僕の運命なのだ」だけは、私の記憶の片隅で約半世紀近く、蝋燭の炎のような細々とした光を放ってきた。
今回の展覧会を機に、私は半ば罪滅ぼしの気持ちで『深夜の酒宴』を読み直し、永年の課題だった最晩年の作品『懲役人の告発』に挑戦した。率直に書くと、『懲役人の告発』の最初の数頁に関するかぎり、かなり失望した。期待が大きすぎたせいもあったのだろうが、問題は、ひとえに一人称告白のスタイルにあると感じた。そしてこれも遠慮なしに書けば、作者の気迫がどこか空回りし、読者の意欲を逆に殺いでいる印象を拭えなかったのである。だが、そうした違和感にもやがて慣れ、プロットラインが徐々に浮かびあがってくるにつれて、私の見方に変化が生じはじめた。読みにくいと感じた部分のほとんどが、じつは椎名の先鋭な方法意識にもとづく、確信犯的な文章術とわかったからだ。事実、椎名は、刊行直後に行った野間宏との対談で次のように語っていた。
「ぼくは今までの自分の文体を全部変えなけりゃいけないということに逢着した」
では、ここに書かれている「全部変え」るという決心は、果たして何を契機として生まれたものだったのか。過去ひと月ほど、折にふれて手にできた資料をもとに得た仮説といくつかの感想をここに書き連ねてみたい。
2
『懲役人の告発』(一九六九年刊)は、良くも悪しくも、時代の傷を深く負った作品である。具体的には、一九六〇年代後半、高度成長期の日本――。『懲役人の告発』が、いわゆる「今日性」に欠ける小説なのか、と問われたら、むしろ逆に、私たち現代の読者にとってきわめて切実なテーマをはらむ作品だと自信をもって答えたい。そして、その切実さとは何か、との問いに対しては、少し曖昧になるが、次のような答えが可能だろう。この小説は、私たちひとり一人の存在の根もとに突き刺さった、自由という棘の深さそのものだ、と。このように書く理由は、むろん、私たちが現に置かれている状況の異常さに深くかかわっている。
私たちは(少なくとも私は)、いま、科学技術のグロテスクな進化の前で立ち往生し、日々、心の余裕を失いつつある。とにもかくにも追い立てられているという強迫観念を払いきれない。希望と可能性のシンボルとなるはずだったAIが逆に私たちの生活を縛り、オーウェルのビッグブラザーならざる、恐ろしくも不吉な監視役を果たしはじめているのだ。他方、『懲役人の告発』では、「真の自由」という問題にからめ、間接的ながらも凄まじい暴力の主題が描かれるが、その暴力性がとてつもなく観念的と感じられる一方、昨今ネット上に溢れかえる犯罪のグロテスクな非日常性との間に奇妙な「親和性」を生んでいる。
物語の主人公「おれ」こと長作は、金属労働に勤しむ二十四歳の青年。一年前、友人から譲り受けた小型トラックで十二歳の少女を轢死させた過去がある。この事件で懲役四か月の実刑判決を受けた彼は、その後「懲役人」の自覚のもとに、自分は「死んだ」との感覚に責め苛まれる日々を生きている。そんな彼の内面から迸りでる最初の告白が冒頭の次の一行である。
「おれは、パリパリした真新しい札が好きだ」
多少唐突に聞こえるかもしれないのだが、私に言わせると、この一行は、「懲役人」長作によるマゾヒズム宣言である。『深夜の酒宴』以来、椎名が今もってドストエフスキーの『地下室の手記』の影響下にあったことを示す書き出しといってもよい。現実から疎外された彼は、みずからのマゾヒズムによってその状況と和解するしか生きる道はない。(つづく)