2022年08月
心の戦場
この七月にオープンした山下和美展の内覧会の日、案内してくれた学芸員の説明を聴くうちにふと頭に浮かんだドストエフスキーの言葉がある。
「美というのは、たんに恐ろしいばかりか神秘的な代物なのだ。そこでは悪魔が神と戦っていて、その戦場が人間の心というわけだ」
爽やかな白で統一された会場をめぐり、天衣無縫ともいえる、のびやかな力にただただ圧倒されるなかで、ひとつ異色を放っていたのが、中学時代の「習作」である。中学時代の、「未熟な」手が描きあげた絵柄だが、天凛と凡庸、アートと非アートを厳格に切りわける、見えざる一線がある、と深く納得させられた。ところが彼女の、まさに円熟期に代表作とされる『ランド』の資料コーナーまで来たところで、べつの印象に支配された。それまでの山下とはおよそ次元の異なる創造性がうごめいている、と感じたのだ。そういう直感の訪れを受けたときの私は、自分でもちょっと驚くくらい素直になる。畏敬の念が、遜りの精神に代わるのである。
館長室に戻るなり、学芸員に尋ねた。すると、ただちに代表作3作の第一巻が運ばれてきた。お目当ては、いうまでもなく『ランド』。ところが、なぜか躊躇が働いた。うまく入りこめるだろうか? 食指は、むしろ、『天才 柳沢教授の生活』のほうに動きかけていたが、バスでの帰り道、カバンから取り出したのは、『ランド』第一巻だった。それこそ、貪るように読みはじめた。いつもの習慣で、三十頁まで行ったところで、再び一頁に戻った。すると頭がたちまちクリアになり、いくつもの連想が慌ただしく行き交いだした。古代ギリシャ悲劇、ドストエフスキー、そして何よりも現代社会を脅かす全体主義国家の影……。
『ランド』の世界には、全体的な力への好奇心と恐怖心、そして卑しめられ、虐げられた人々への、切ないまでの共感がともに力づよく息づいている。その二つの原理が、彼女の「心」の戦場で激しくしのぎを削っているという印象なのだが、その戦いが、ニヒリズムの肯定ではけっして終わらないという予感がうれしい。過酷な宿命のもとに生きる人々の世界を描きながら、読み手の心に傷を負わせまいとする配慮。このぎりぎりの一線が守られるなかでの冒険こそが、今の私たちがひそかに求めている芸術ではないのか、と思う。けれど、まだ第一巻を読み終えたばかり。多くを語ることは危険である。第二巻の第一頁でみごとな打っちゃりを食らう可能性だってなくはないのだから。