2023 12/8

眩しい光、自由の影

椎名鱗三のアナーキー

長作のこのマゾヒズム宣言をより俯瞰的な視野から眺めたとき、新たに広がりはじめる光景がある。それが、先ほども触れた一九六〇年代後半の日本の時代相――。『懲役人の告発』が書かれた六〇年代終わり、日本はGNPでドイツを抜き、戦後二十年にしてアメリカに次ぐ第二の経済大国にのしあがった。高度成長の流れに抗し、カウンターカルチャーや学生運動も盛り上がりを見せはじめた。時代を定義するキーワードの一つが、「疎外」。「疎外」は、人間の創造になる機械、商品、貨幣等が人間の手から離れ、逆に人間を支配しはじめる状況を言うが、当時、学生運動に走った友人たちが、しきりにこの「疎外」という言葉を口にしていたのを、私自身よく記憶している。実存主義文学の草分け的存在であり、今はすでにキリスト教に転向した身であるとはいえ、元共産党員のれっきとした左翼の肩書をもつ椎名だけに、「疎外」(「誰もだまって機械にこきつかわれている」)という客観的現実を、心穏やかにやり過ごせたとは思えない。では、「疎外」の現実をどう言語化できるのか、そしてその状況をくつがえし、人間がみずからの主体性をとり戻す道をどこに探り当てればよいのか。椎名は、胸のうちの鬱積する思いを、野間との同じ対談でこう吐き出してみせた。
「ぼくも現在物質が支配している、人間性を奪っているということがまずぼくの中にあった。それに対して戦わなきゃいけないということ、それを根本から一ぺん問い直してみようとした」
少し飛躍するが、仮にここに記されている「物質」をAIと読み替えたなら、椎名の危機感が、いかに「今日性」を帯びたものであるかが、改めて認識されるにちがいない。
では、「疎外」との戦いをとおして彼が得た成果とはどのようなものだったのか。小説の方法という視点から言うと、第一には、人間を疎外する事物たちに主語を与える「特別人称」(野間宏)の発見である。たとえば、長作が轢死させた少女の砕けた脳味噌の描写のなかに、椎名はさりげなくその方法の一端を挟み込んでいる。
「うつむきに倒れている少女をあわてて抱き起したとき、少女の前額部へずぶりとおれの指がめり込み、彼女の脳味噌がおれの指をつかんだときの生あたたかいいやな感触は、忘れようとしたって忘れられるものではない」(太字筆者)
太字で示したくだり、すなわち死んだ少女の脳味噌が人間の指をつかむという主客の反転。思えば、『懲役人の告発』では、全編にわたって語り手=主人公「おれ」の目と耳の感覚のすべてが、主語をめぐって争奪を繰り広げることになる。もっとも、そうした方法上の工夫だけで、「疎外」の現実を写しとれるわけはなく、また、作家がめざす「人間性」の回復を言語化できるはずもなかった。求められていたのは、「疎外」の壁を突き崩すような生命と精神のほとばしりだった。こうして椎名の小説に、六十年代後半の日本社会に凄惨な影を落としはじめるゲバルト(暴力)のモチーフが「人間性」の名のもとに否応なく忍び寄ってくる。椎名は、さながら、ゲバルトを正当化する学生運動のラディカリズムを煽られたかのように、「死んだ」人間たちの主体性を回復する手段として暴力のモメントを介在させていく。そしてその暴力の犠牲となるのが、ほかでもない、「疎外」の影響をいっさい被ることのない自由の化身、福子十二歳だったのだ(ちなみに福子の年齢が、なぜ、主人公長作がトラックで轢死させた少女と同じ十二歳に設定されたかは、謎である)。
物語は、死人同然の「おれ」すなわち長作が、十二歳の福子が発する生命のオーラによって、徐々に「人間性」を取り戻していくさまを描きだしていく。他方、日に日に艶やかさを増し、やがてはエロスの化身と化す福子は、「死んだ」近親者たちのうちに凶々しくも淫らな欲望を誘発し、彼らを破滅の道へと導いていく。破滅もまた、それがかりに最終的な回答とはなりえずとも、「人間性」回復の一つの手段にはなりうるとでもいわんばかりに。
思うに、禁断、つまり犯してはならない一線とは、「疎外」のもつもっとも原初的な形態である。だから福子の近親者にとって真の自由を得るとは、まさに一線を超えることを意味するものとなった。父、長太郎にとって疎外からの解放は、近親相姦によるタブーの侵犯に帰着する。そして福子凌辱の瞬間に経験した歓喜を、長太郎は次のように回想する。
「その間、わしは眩しい光のなかにいたんや。身体中にしみわたるような眩しい光や。福子さんは、ひょっとしたら神様かも知れへんと思うたくらいや」
その長太郎が広告紙の裏に書き記した遺書には次のように書かれていた。
「人生万歳! 人類万歳! 福子さん万歳!」
福子凌辱の瞬間に長太郎が得た快楽は、ほとんど法悦と呼ぶにふさわしい体験だが、それはまさに善悪の彼岸に立った人間のみが経験できる至高の感覚として意味づけられた。
他方、自由放任を楯に、いっさいの規律から福子を解き放とうとした育ての親長次は、第三者的な目でその目的を次のように説明してみせた。
「そやけど、おれは、人間のほんまの自由を見たかったんや。長作、ええか、福子に何をしてもええと許したのは、その自由を見たかったさかいや。それを見て、ああ、人間って何というええもんやろという思いをな、一度でもしたかったんや」
しかしその長次にして、「ほんまの自由」を見る手だては、凌辱された福子に銃口を向け、その生命のオーラを自由の観念もろともに葬り去る以外になかった。(つづく)

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