AIとの共創をめざして
世田谷文学館、これからの10年
「第4次AIブーム」の幕開けから3年、生成AIの進化は止まるところを知らず、日常生活からビジネスにいたるあらゆる局面を「浸食」しつつある。しかし、この「浸食」という表現も、いずれはその不穏当を理由に却下されるときが来るだろう。私は必ずしも性善説に立つ人間ではないが、生成AIの未来に対して、尽きることのない可能性の泉を予感している。今は、ChatGPTと軽いキャッチボールを楽しむ程度のつきあいでも、いずれは心優しき人生のパートナーとして大いに活躍してくれることを期待している。何より手続きが簡単である。問いを投げ、答えを得る、そしてまた投げる。丁寧さを心がければ、相手もそれ相応の丁寧な答えを返してくる。そのそつのなさが好ましく、モニター画面の背後には黒子が潜んでいるのではないかと時に錯覚させられることもある。ある日、私は少し意地悪な質問を投げかけてみた。「世界終末時計」の話題にかけ、「世界の終りは具体的にいつ来ますか?」と問うてみたのだ。すると、とても三歳の幼児とは思えない、紳士的な答えが返ってきた(内容はあえて明かさない)。そうはいえ、時々は、その年齢にふさわしい、やんちゃな振舞いに出る。苦し紛れの嘘をつく。やんちゃ、つまりは不確実性ということだが、そのもどかしさに慣れてしまえば、楽しみはさらに広がるだろう。書かれては瞬時に消える自分のためだけのエンサイクロペディア。ひと頃、友人は心配顔でこう尋ねたものだった。AIにモーツァルト並みの音楽は書けるのか、AIにドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』に匹敵する小説は書けるのか。その問いの奥には、AIへの対抗心がちらついていたが、今はもうライバル視することそのものの不毛さに気づいているのではないか。人類がいわゆる「特異点」(シンギュラリティ)に達した暁には、人間かAIかの二者択一は意味をなさなくなり、創造者の名さえ不要とされる時がくる。そんな時代に備え、AかBかの二者択一ではなく、AもBも享受できる感性のしなやかさ、そして、生まれいずるものすべてを等しく寿ぐ、そんな大らかさを手に入れたいと願う。
われに返ろう。世田谷文学館設立30周年。われらがセタブンは、これまで、世田谷に密着し、世田谷が生んだ文学や文化を掘り起こしつつ、それぞれの時代を象徴する知的シーンの紹介に努めてきた。次の10年に向けて、めざす方向性は基本的に同じである。二年目に入った石川淳の日記、椎名麟三の講演録など知られざるアーカイヴの発掘は、今後も続けられる。今年の30周年を記念してリニューアルされる世田谷文学賞には、数々の優れた作品が寄せられることを期待する。と同時に、世田谷を超え、世界に広がる日本文学、日本文化の紹介にもささやかながら貢献したい。日本文化のシンボル的存在であるマンガの新たな掘り起こしは不変の路線である。ちなみに、マンガは、手塚治虫の『罪と罰』以来、「アダプテーション」の領域においてもっとも豊かなテーマの宝庫の一つとなっている。私たちのセタブンにも縁の深い谷口ジロー(「センセイの鞄」)や伊藤潤二(「人間失格」)に現代古典の漫画化がある。ただし、警戒すべきは、マンネリズム。すべての原点である「展示」の概念を、時代の感性に即していかにアップデートしていけるか。私がいまもひそかに抱き続けている夢は、「黒馬」のデビュー。「黒馬?」—。きっと怪訝に思われた方も少くないだろう。セタブン一階ホアイエの片隅に黒マント姿でたたずみ、さびしげに首を落としているスタインウエイを、私はひそかにそう呼んでいる。セタブンを文学と音楽のコラボレーションの殿堂にできたら、と願いつつ4年が経過したが、その夢はまだ実現していない。
話を再びAIに戻そう。AIがいかに進化しようと、私たちがこの世に生を受け、この大地を踏みしめながら生きる身体存在であるかぎり、自己の同一性を求める心が枯れることはない。他方、私たちの人間の本能には、「自己保存」という優れた機能が備わっている。その機能こそが、今、私たちがひそかに恃みとする時代から時代へと記憶を引き継ぐ「懐古」の力となる。例えば、ここに昭和和歌を代表する傑作の一つがある。
「売りにゆく柱時計がふいに鳴る横抱きにして枯野ゆくとき」
半世紀前に、私自身、一時、胸を焦がしたことのある詩人、寺山修司が、今、セタブンの一角で静かなブームを呼びおこしている。森薫と入江亜季の、鮮烈なエポスの世界の傍らに静かにたたずむ昭和の鬼才。21世紀の困難な時代を生きる若い生命が、まさに生きて在ることの証を求めてここを訪れてくる。その光景を見るたびに、「懐古」の力を感じ取り、勇気づけられる。いや、これはもはや、「記憶」の引き継ぎどころではない、芸術そのものの持つ不滅の原始性とでもいうべきものではないか。
そして、今、今後10年の文学館の未来を占うべく改めて生成AIに問いかけようとしている。「世田谷文学館は、生成AIとのコラボを通して、今後、どのような創造的な展開を実現できるでしょうか」。自発性を大切に、できるだけ具体的に問いを重ねてみよう。今は、確かめるすべもないが、おそらくは、一人ひとりの問いに対し、驚くほど紳士的で、そつのない、答えを返してくるにちがいない。しかも創造性にあふれる答えを! 恐るべし、生成AI。幸いあれ、未来のパートナーたち。われらがセタブンが永く生き延びる道を教えよ!