2024 7/12

失われた手紙

エッセイ

 大切なものをしまい忘れることがある。大切にしなければよかったと思うことがしばしばである。これではまるでマーフィの法則ではないか。大切ではないと思っているモノは、目障りなくらい、いつまでも同じ場所にある。思うに、大切なものと感じるものほど失う可能性が多い。これは、ことによると、モノだけではなく人間関係にもあてはまる真実ではないか。
 私が今もっとも悔しいと感じている失くしものが一つある。ロシアのある研究者から送られてきた一通の手紙。記憶する限り、最後にこの目で確認したのが、三十五年ほど前のこと。それ以来、本気になって探せばいずれ見つかるだろうと楽観視しているうち、完全に見失った。悪いことに、この間、奈良、川越、東京と何度かの引っ越しを余儀なくされた。その手紙には、一九八四年十月の消印があるはずだった。学術振興会派遣の研究員として半年のモスクワ在外研究から帰国したばかりの時期のことだ。その手紙の由来を話そう。
 帰国直前、私は奇跡的にも、ロシア前衛運動の生き証人として知られるK氏との知遇を得た。「人嫌い」で知られ、めったなことでは人を部屋に通さない彼が、日本からきた若い研究者に会ってもよいという。以来、地下鉄スポルチーヴナヤ駅にある同氏の小さなアパートを何度も訪問することになった。彼の書斎には、個人所蔵になるマレーヴィチの絵が何枚も飾られていた。人嫌いの原因がここにあるとその時私は直感した。帰国後まもなくそのK氏から、思いがけず、いくつかの資料のコピーと励ましの絵ハガキが送られてきた。
 それから二十年、私の関心は、すでにドストエフスキーに移り、氏の存在も肝心のその手紙も思い返すことがまれになった。ところが先日、教え子の一人から、K氏関連の資料集がロシアで出るので、ついてはK氏からの手紙等をお持ちではないか、との問い合わせがあった。今度は私が、K氏の生前を知る数少ない「生き証人」の一人となりつつあるというわけだ。それを知ってがぜん意欲が湧き、私は久しぶりに地下の書庫に降り立った。むろん無益とわかりつつ、なお・・・・・・(2022/3)

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