2024 10/24

フョードル・カラマーゾフを殺したのはだれか Ⅳ

エッセイ

(4) 新犯人説は、作者を裏切る

『カラマーゾフの兄弟』を純粋にミステリーとして読む。果たしてそれは可能なのか。ラズーモフは、小説を一つの完成された宇宙として、つまり生起し、完結した事件として現実に対するのと同等のレベルで扱う。論理的思考、分析的思考に勝った読者ならではのアプローチといえるだろう。そこでは、しばしばリアリティよりも辻褄合わせが優先される弊害も見られるが、物語の精確な輪郭を得たいという読者にとっては、すばらしく心地よい作業となる。
とはいえ、やはりアカデミズムの側からの主張にも耳を傾けなくてはならない。いや、アカデミズムとは言わぬまでも、何千何百万というこれまでの読者が『カラマーゾフの兄弟』を通して得た了解事項との関係である。先ほども述べたように、父殺しの謎は、多くの読者にとってすでに解決済みである。しかし、ラズーモフの主張に従うかぎり、イワンとスメルジャコフの3度にわたる対面に息づく切羽詰まったドラマは、すべてスメルジャコフのお芝居ということになる。とりわけ、三度目の面談でスメルジャコフが告白する殺害場面のリアリティも、嘘の演技として片づけるよりほかない。そして結論として、スメルジャコフの自殺は、みずからの罪というよりも、第三者の罪を引き受けて自殺したという結論に辿りつく。これはスメルジャコフが残した遺書「だれにも責めを負わせないため、自分の意志によってみずからを滅す」の内容と完全に矛盾してしまう。もし、ここに差し出した疑念にもかかわらず納得しない向きには、極めつきともいうべき証拠を提示しよう。かつて『カラマーゾフの兄弟』連載中、レーベジェワという女性の読者からの問いに対し作者みずからが書き送った次の文章である(1879年11月8日)。
「カラマーゾフ老人を殺したのは使用人のスメルジャコフです。詳細は小説の後半で明らかになるでしょう。イワン・フョードロヴィチが殺人に関与したのは、モスクワに向かう前のスメルジャコフとの会話の中で、スメルジャコフが計画していた残虐行為(イワン・フョードロヴィチはそれをはっきりと見て予見していました)に対する嫌悪感を、はっきりと彼に明示しなかった(意図して)我慢したという事実によってのみであり、その結果、スメルジャコフがこの残虐行為を行うのを許可したかのように、間接的かつ遠隔的に関与したにすぎません。スメルジャコフにとって許可は必要でしたが、その理由は後で改めて説明されることでしょう。ドミートリー・フョードロヴィチは、父親殺しに関してはまったく無実です」
ちなみに、この手紙が書かれたのは、雑誌『ロシア報知』第十号が刊行され、ちょうど『カラマーゾフの兄弟』第8編第4章「暗闇のなかで」が出たばかりの時期である。フョードル殺害の場面が、破線の使用によって意図的にカムフラージュされたことで、大いに迷わされた読者も少なくないだろう。ドストエフスキーは、このレーベジェワなる女性に宛てた手紙で犯人名をしっかりと名指しにした。ここで述べられた事実と、ラズーモフの主張はむろん真っ向から対立する。果たして、作者のこうした「証言」を無視してまで、ラズーモフは自説を主張するつもりなのだろうか。そして、その矛盾点を彼はどう説明するのか。
ラズーモフは、開きなおりとも思える平然とした筆致で答える。小説家が一読者を裏切ることが許されないわけではないと。さらには、スメルジャコフによる「告白」については、これを信じてはいけない、との主張をつらぬく。彼がその根拠として提示するのは、三回目の面談の日に、スメルジャコフの部屋のテーブルの上に置かれた一冊の書物である。
「シリア人イサークの箴言集」が鍵となる。(つづく)

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